蔵のまち一新 若者出店
「蔵を生かしたまちづくりを都市計画の見本にしようと
多くの学生らが見学に訪れる」
県北西部のJR磐越西線・喜多方駅の北側に延びる県道にある「ふれあい通り」」。開放感のある通りから一歩路地に入ると、様々な蔵が軒を連ねている。粗壁や白漆喰、黒漆喰、近代的な雰囲気が漂う煉瓦造りもあれば、用途も酒蔵から味噌蔵、店蔵、座敷蔵、厠蔵、塀蔵と様々。寺までが蔵造りになっていて、まさに「蔵のデパート」だ。その歴史ある景観を生かし、毎年夏には昭和の風景を再現して楽しむイベント「喜多方レトロ横丁」が開かれる。
江戸時代に福島・会津若松と山形・米沢を結ぶ物資の集積地として栄えた喜多方は、岡山県倉敷市などと並ぶ「蔵のまち」として知られる。2006年に周辺4町村と合併し、それまで約2600棟だった蔵は一気に約4200棟に増え、数は全国一になった。
40年前にNHKの「新日本紀行」で「蔵ずまいの町」として紹介されたことで、その存在が全国に知られるようになった。その後の「喜多方ラーメン」ブームもあり、年間190万人近くが訪れる観光都市へと成長した。しかし、観光客の大半は喜多方ラーメンが目当て。蔵の老朽化が進むにつれて、「蔵のまち」の魅力そのものの地盤沈下が取りざたされた。
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2001年から7年間、東大大学院の都市デザイン研究室が市内の空き蔵を拠点に活動したことをきっかけに、蔵を生かしたまちづくりの機運が再燃した。指導にあったったのは北澤猛教授(1953~2009年)。少年時代を過ごした喜多方に強い思い入れがあり、街並みの座院を次々と提案していった。
同研究室の活動に呼応するように、江花圭司さん(39)は05年春、街並みを眺めながらゆっくりと巡ることができる三輪自転車(ベロタクシー)の運行を始めた。仙台市と並んで東北地方では初の取組みで、当初は環境に優しい乗り物として導入した。現在は喜多方市議を務める江花さんは「車よりスピードが遅いので、目線は歩行者と同じ。車で通るだけではわからなかった街の良さが見えてきた」と当時を振り返る。
ふれあい通りでは08年度以降、街並みの景観を阻害していると指摘されていた古いアーケードが撤去され、街路灯が設置された。電線は地中に埋設され、地上の機器は路外に設けた小さな空き地「蔵庭くらにわ」に置くなど景観への配慮を徹底している。これらの計画は、地元住民によって定められた景観協定に基づいて進められた。
ふれあい通りの仲町商店街振興組合は、伝統的建造物を生かした街の魅力向上や観光振興に貢献したとして、平成26年度である今年度、まちづくり月間まちづくり功労者国土交通大臣表彰を受けた。長島慶司理事長(57)は「先祖から受け継いだ蔵を次世代に少しでも良い状態で引き継ぐにはどうすべきか、話合いを重ねた。北澤先生が残してくれたスケッチが、大いに参考になった」と明かす。
生まれ変わった街並みに引き寄せられるように、若者の飲食店が相次ぎ、「現在、ほとんど空き店舗が無い状態」という。市内の別の通りでも、空いた蔵を利用し、喜多方を研究する学生や起業を計画する人を下宿させるシェアハウスも始まった。レトロな景観を保ち続ける街で、先進的なまちづくりが息づいている。
(会津若松支局 三木誠司)